ジャパネット高田 高田

ジャパネット高田 高田延彦

高田とは?

格闘技ジム高田道場主宰者、格闘技イベントPRIDE統括本部長であり、PRIDEの解説者を務める。芸能マネジメントはレプロエンタテインメントが受け持っている。神奈川県横浜市磯子区出身。妻はTVタレントの向井亜紀。夫婦共に無類の酒好き。
少年時代は野球少年だったが、アントニオ猪木に憧れてプロレス入りを決意する。この頃の自分に対しては、住んでいた団地の階段などで一人でトレーニングをする変な子供だったと述べている。 1980年、高校へは進学せず新日本プロレス入りしアントニオ猪木の付き人を務めるが、太りにくい体質で本人曰く「毎日喉元まで食べ物を詰め込んだ」が、なかなか体重が増えず苦労した。食事後にプロテインを流し込む姿が週刊プロレスで報じられている。この頃の得意技は跳躍力を活かしたミサイルキック(トップロープからのドロップキック)。
1983年に猪木がカナダ遠征をした際に付き人として同行しており、欠場した初代タイガーマスクの代わりにたまたま試合に出場したところ、鮮やかなジャーマン・スープレックスで見事に勝ちを収めポスト・タイガーマスクとして一躍注目を集める存在となった。帰国後は、山崎一夫と若手とは思えないハイレベルな試合を繰り広げた。
1984年に前田日明、山崎一夫らとともに新日本プロレスを離脱し、格闘技路線のプロレス団体UWF(旧UWF、第一次UWF、ユニバーサル)に参加。後楽園ホールでライバル山崎と名勝負を繰り返し、マニアの心をつかむ。しかし、予定されていたアントニオ猪木の不参加などの要因で地方では不入りだったこと等から同団体は崩壊、その後UWF所属レスラーは新日へ合流した。新日に参戦した期間には、越中詩郎を好敵手とし名勝負を繰り広げ、IWGPジュニア・ヘビー級王座のベルトを争った。また、当時『ワールドプロレスリング』の実況を担当していた古舘伊知郎から「わがままな膝小僧」「青春のエスペランサ」の異名を付けられた(キックを多用するファイトスタイルから)(「戦うジェームス・ディーン」とも)。1988年、前田日明、山崎一夫らとともに新生UWFを立ち上げ、ビッグアリーナのチケットがすぐに売り切れるという人気を呼んだが、やがて崩壊。前田のリングス、藤原喜明の藤原組、高田のUWFインターナショナルの三団体に分裂した。
UWFインターナショナルは高田対北尾光司戦などで人気を博し、高田は一時はフジテレビのスポーツニュース番組「スポーツWAVE」のキャスターを務めるまでになる(試合があった日も生放送に出演していた)。1995年8月には田村潔司から「僕と真剣勝負してください」と挑戦を受けるが高田は拒否をし、多くの話題を呼んだ事もあった。1995年7月、高田の参議院議員選挙出馬や数々のトラブルと選手離脱によりやがてUインターは経営的に行き詰まり、やむなくWARや新日に参戦して交流試合を行う。1996年1月4日、東京ドームでは、前年10月9日に「新日本プロレス VS UWFインターナショナル全面戦争」のメインで敗れた当時IWGPヘビー級王者だった武藤敬司を破ってリベンジに成功。第18代IWGPヘビー級王者となり、IWGPすべての王座を獲得するという史上初の快挙を成し遂げる。尚、この試合は、ワールドプロレスリング2時間スペシャルとして、即日にゴールデンタイムで放送された。また3月1日には、UWFインターナショナルのリングで防衛戦が行なわれ、越中詩郎を破って初防衛に成功したが、4月29日、橋本真也に敗れ王座陥落となった。その後、天龍源一郎と2度のシングルマッチや、インディー団体「東京プロレス」に突如参戦し、ブッチャーとシングルマッチを行ったことさえあった。迷走を続けた末に、12月にUWFインターナショナルは解散した。

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